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伊達:
率先して行動する
リーダーたち

2015年5月1日現在

面積
人口
人口密度

. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 265 km²
. . . . . . . . . . . . . . . . . .61,678人(2011年3月1日時点で65,749人)
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 233人/km²

福島市に近接し、福島第一原子力発電所から北西約50kmに位置する伊達市は、人口62,000名の市だ。だいたい南相馬市と同程度の人口規模である。仁志田昇司市長(66歳・事故当時)は、2011年3月11日午後、東北地方を襲った尋常でない強い揺れを思い出して、次のように述べている。「大きな地震が発生したんですね。地震と言うのは、我々、そんなに驚かないんですけど、まあしかし経験したことないような大きい地震だと言う事はわかりました。非常に強い揺れが長く続いたんですけど。もちろん電気もこない、それから色んなものが遮断されたような状況だったので、すぐ我々市役所の職員が、現場に行ってどう言う状況なのか確認をして、そして、とにかく家屋の倒壊、あるいは倒壊しなくても危険な家屋も考えられますので、避難所を開設して、そこに避難させると言うことをやりました。それから小学校はですね、倒壊した大きい学校が2つありますので、そうした状況の中で夜を迎えたんですね。」

巨大地震と原子力発電所事故の十数日後、伊達市は、汚染されたプルームが伊達市に達したという情報を受け取った。まったく予期しない事態であったが、市長以下、市役所職員の半澤隆宏、その他の市の職員も、昼夜を問わず、救援業務を行い、食料や飲料水などを市民に配布した。また、除染、住民の放射線スクリーニング、主に南相馬市から避難してきた大勢の人々へ避難所を提供した。

リーダーシップと迅速な判断

放射能汚染の測定結果に基づき、伊達市長は除染計画に手を着けた。学校の校庭から始まり、市内の最も汚染された地域にまで広げた。学校での作業は、仁志田市長の知人である田中俊一から助言と支援を受けた。NPO法人日本放射線安全フォーラムの理事長であった田中俊一は日本原子力規制委員会の委員長に就任した。また、この校庭の除染作業は、地域のPTAからも積極的な支援を得た。
強いリーダーシップで、仁志田市長は必要な資金も確保した。10億円を調達し、個人線量計や、学校に設置するエアコンなどを購入したのだ。日本の夏は湿度が高く、窓を閉めたまま室内で過ごすことはできないからだ。市長はこれらに加え、子供を守る手段を講じた。通学時の被曝を少なくするためのスクールバスや、屋外でのびのびと遊ぶことに慣れているこの美しい田園地帯に暮らす子供たちが、同じように遊べるためのサマースクールなどである。

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「へこたれません!」
伊達市役所が配布したこのバッジには、伊達市の覚悟を示すこの言葉が書かれています。

復興作業を推進するために独自に試行錯誤しつつ、多くのボランティアの手を借りて、民間の技術者チームは、地面の表面を削り取る除染作業を行った。除染作業が進むにつれ、汚染された土壌の入った袋が積み重なり、保管場所の設置が待たれるようになった。市長は仮置き場と呼ばれる一時保管場所を作ることを決め、市民に対してすばらしく透明性のある形で実行した。「市民の皆さんの理解を得ることは、時に、難しいことでした。」と仁志田市長も認める。「しかし、私たちはやりました。」両肩に重荷を担いながら、伊達市は、市役所の隣に仮置き場を作ることに決めたのだった。

子供優先
伊達市は富成小学校の校庭とスイミングプールの除染を、福島第一原子力発電所事故のわずか数週間後に開始した。学校の除染を最優先したのは、屋外活動の禁止が及ぼす子供たちへの健康影響を心配している親や教師たちの期待に応えるという、市役所チームの明確な意思表示だった。田中俊一と彼の右腕である多田順一郎の助けを借り、学校の教師や親たちは、伊達市役所職員と共に、2011年夏が始まるとすぐにプール開きを行った。

住宅地の除染

2011年8月以降、伊達市役所のチームが、市内全域で4ヶ月ごとに放射線量を計測しています。より効率的に実施するため、除染は1 kmメッシュごとに計測された線量に基づいて行われています。線量は、詳細な汚染状況の把握に役立ち、放射線量レベルに応じて、市域を3つのゾーン(A、B、C)に分割するのに用いられます。除染作業について設定された当初の目標は、年間放射線被曝線量を5ミリシーベルト(mSv)未満に引き下げることです。
以下の2枚の地図には、2011年8月の最初の線量計測と2014年3月に実施された9回目の線量計測で得られた結果が示されています。

伊達市一斉放射線量測定マップ

2011年8月19日~21日実施(第1回)

2014年3月11日~15日実施(第9回)

市民と除染プロジェクトについて話し合う
除染計画に関わってもらうために、市民とどのように話し合えばよいのか? 伊達市民がすぐに、そして簡単に放射能に関するリスクと除染のメリットを把握できるよう、半澤隆宏は、除染の方法と目的を図にして創意に富んだ説明資料を作成した。たとえば、スライドでは、放射性物質は、家の周囲をうろつき、人を攻撃しようとしている野生動物に喩えられている。除染は、この動物を捕まえることになぞらえられた。廃棄物置場は、人々の安全を保つために動物が柵に入れられている公園として表現されている。この取組は、自治体のチームが実施した傑出したアプローチ例である。新しいコミュニケーション方法に基づく対話を住民たちと進行形で行いながら、意思決定と業務遂行を共有したのだ。

継続したサポートで大きく改善

ICRP Publication 111の理念では、「食品の生産と消費を長期的に制限することは、汚染されたエリアの持続可能な発展に影響を与えることがある。そのため、最適な原理を適切に実行することが必要となる。地域の農業従事者や地域の住民の利益と、汚染エリア外の消費者と食品流通セクターの利益を一致させることを、細心の注意を払って行わなければならない」とされている。仁志田市長は農業を継続することに決めた農家を支援した。最終的に、日本中で受け入れられるだけでなく、その美味しさを賞賛されるような、安全な商品作物-モモ、リンゴ、イチゴ、ブドウ、柿といった果樹類-を生産することを視野にして、だ。
毅然とした方針により、伊達市は住民の大半を留まらせることができた。当時、市を離れることを決めたのは、わずか1,200名で、後に800名が戻ってきた。伊達市の住民の生活環境を回復させる仁志田市長の力量は、市役所チームとNPOの聡明な連携や、ベラルーシやノルウェーの汚染エリアに住む人々の体験から発想を得て自助的活動を生み出すひらめきに根ざしたものだった。
もう一つの要因は、伊達市役所をほとんどの回のダイアログセミナーの開催場所にし、そこで積極的な役割を担うという仁志田市長の揺るぎない関わりである。これが、状況の人間的側面、特に復興プロセスにある地域に住む人々の尊厳を保つことの重要性の理解、そして地域、国家、国際的な連携にどれだけ貢献したかは計り知れない。

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